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写真力とは (番外)

写真表現について… 

■写真における表現について語る前に先ずはネットでご覧いただきたい画像群があります。「写真コンクール受賞作品」このワードで検索し、配信される「コンクール受賞作品の画像検索結果」を一覧していただきたいと思う次第であります。各種団体・一般企業から公共性の高い自治体主催のものまで、国の内外を問わず昨今の様々な写真コンテストの受賞作品数百点を一堂に目にすることができます。


■そこには一言で言うと「素晴らしい作品」が並んでいます。信じられないような不思議な光景から、貴重な瞬間を劇的に捉えたもの、どのように撮影したらこのように写るのか想像すらできないような刺激的なものまで、さすがに名だたる審査員の御眼鏡にかなった作品が顔を連ねていますね。
 

■それでは本題に入りましょう。これまでは写真のもつ本質的な力である記録性について述べてきましたが、今回は写真がもつ表現性についてです。
 

■私たちは写真を写すときにカメラを使いますが、実はレンズを用いる光学式のカメラは、像をつくりだすシステムを操ることで対象を肉眼とはまったく違うイメージにつくり変えることができるのです。例えば背景をぼかしたり光の軌跡を線としてとらえてみたり、昔からカメラは度々肉眼とはまったく違うイメージを創作しながらも、写真であることにかこつけ、あたかもそれが事実であるかのように世間を茶化してきたというわけですね。それでもフィルムの時代はまだ良かったんですよ。システム的に嘘がバレてしまうようなおかしなことは出来ませんしやりませんでしたからね。その辺は上手にやっていたわけですよ。でも今は違います。デジタル画像になってからは明らかに違いますよ。現像ソフトや編集ソフトを使って感情のおもむくままにやりたい放題ですね。写真がもつ本来のトーンや色や描写性を離れ、時には無視し、何でもありのワンダーランドに突入してしまった感があります。デジタル式のカラーコピー機が巷に普及し始めた四半世紀も前に、こうなる事を予見し写真の未来に不安と期待を抱いたのは私だけだったかな~?だって受賞作品をもう一度よく見直してみて下さいよ。現実離れしていて写真としておかしなものが多いでしょ。まるでエアブラシの名手クリスチャン・ラッセンが描くイルカの絵やダーケン(マイク・リム)のイラストのようですよね…。デジタル写真は画像を構成するRGBデータを一画素単位で操ることで対象を肉眼とはまったく違うイメージにつくり変えることができるのです。
 

■しかしながら写真からの制作は、もとになる写真像がなければ始まりません。当たり前のことですが絵画のように画家が白いカンヴァスにゼロからスタートするような純粋な創作は決してできないのですよ。写真表現の世界は、軽便ではありますが本質的に創作上の不自由さと対象に依存する部分を否定できない作品としての不完全さやジレンマ的要素を多分に内包するものなんですよね。
 

■であるならばスティーグリッツが唱えたように写真としての本質にして最大の武器である現実描写力にもっともっとこだわってみてもいいんじゃないかと私は思っているわけですね。その方が写真は写真として無理なく芸術性を志向できます。詰まる所どこまでいっても「写真は記録」なんですね。ちなみに、流行りのLightroomなどの現像ソフトによる編集作業は、主観に沿った内容に画像を修整してしまうことが多いので、叙情的な方向には発展しますが、結果的にどことなく現実味のない、写真としての不自然さを否めないものになります。本当に写真をやりたいという人は気をつけてください。

★今回の内容は「写真考察」の第5章と第7章の中に詳しく取り上げてありますので是非ご一読ください。尚「写真考察」は写真の作品性に着目し2000年に第4章までを起稿した後、デジタル画像を含めた写真の進展に大きな危機感を抱いて2012年に第5章以降を続稿し発行にいたったものです。

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